「きめたって、何を?」 「全部」 「だって」 と私はおどろき、 「どんなお家だか、見もしないうちに、……」 お母さまは机の上に 片肘 ( かたひじ )を立て、額に軽くお手を当て、小さい溜息をおつきになり、 「和田の叔父さまが、いい所だとおっしゃるのだもの。 直治なんて、棒でたたいたって、死にやしない」 お母さまは笑って、 「それじゃ、かず子さんは早死にのほうかな」 と私をからかう。 2009ねん1がつ りようしゃぺーじいちぶかいへん• 午後の三時頃で、冬の日が、お庭の芝生にやわらかく当っていて、芝生から石段を降りつくしたあたりに小さいお池があり、梅の木がたくさんあって、お庭の下には 蜜柑畑 ( みかんばたけ )がひろがり、それから村道があって、その向うは水田で、それからずっと向うに松林があって、その松林の向うに、海が見える。 一段上がって、ゆっくり閲覧用の絵本を選んでいただき、 少し奥の窓辺にはお一人で静かにお茶を飲みながら (もちろんケーキもOKです) 本を読まれる方のための席が設けてあります。 叔父さまのお手紙では、なおして帰って来たとしても、そんな心掛けの者では、すぐどこかへ勤めさせるというわけにはいかぬ、いまのこの混乱の東京で働いては、まともの人間でさえ少し狂ったような気分になる、中毒のなおったばかりの半病人なら、すぐ発狂気味になって、何を仕出かすか、わかったものでない、それで、直治が帰って来たら、すぐこの伊豆の山荘に引取って、どこへも出さずに、当分ここで静養させたほうがよい、それが一つ。 二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。 インフォメーション• 1917年(大正6)に帝室技芸員、1919年に帝国美術院会員に任ぜられている。
次の西片町のあのお家に、一日でも半日でも永くいたかったの。 私の 生涯 ( しょうがい )にそんなおそろしい事があろうとは、幼い時から今まで、一度も夢にさえ考えた事が無かったのに。 お火を粗末にすれば火事が起る、というきわめて当然の事にも、気づかないほどの私はあの 所謂 ( いわゆる )「おひめさま」だったのだろうか。 翌る日になっても、お母さまのお熱は、さがらなかった。 私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。 だから、それだから、かず子は、どこへも行かずに、お母さまのお 傍 ( そば )にいて、こうして地下足袋をはいて、お母さまにおいしいお野菜をあげたいと、そればっかり考えているのに、直治が帰って来るとお聞きになったら、急に私を邪魔にして、宮様の女中に行けなんて、あんまりだわ、あんまりだわ」 自分でも、ひどい事を口走ると思いながら、言葉が別の生き物のように、どうしてもとまらないのだ。
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小走りに走って行ってお風呂場のくぐり戸をあけ、はだしで外に出てみたら、お風呂のかまどの傍に積み上げてあった 薪 ( まき )の山が、すごい火勢で燃えている。 直治は、高等学校の頃に、或る小説家の 真似 ( まね )をして、麻薬中毒にかかり、そのために、薬屋からおそろしい金額の借りを作って、お母さまは、その借りを薬屋に全部支払うのに二年もかかったのである。 そうして、あたりを 眺 ( なが )めるような 恰好 ( かっこう )をしたが、しばらくすると、首を垂れ、いかにも 物憂 ( ものう )げにうずくまった。 南画や明清画 みんしんが 、大和絵 やまとえ などの諸派の研究、また写生をその基礎に独自の画風をつくりあげたが、特色とするところは、生新な色彩感覚と気迫に満ちた自由放胆な水墨画風のものにあり、多く晩年に傑作を残している。 岩島なんてのは(と直治の学友の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の 遊廓 ( ゆうかく )の客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。 おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。
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そう気づいて、泣き出したくなって立ちつくしていたら、前のお家の西山さんのお嫁さんが垣根の外で、お風呂場が丸焼けだよ、かまどの火の不始末だよ、と 声高 ( こわだか )に話すのが聞えた。 お母さまは、おや? と思ったくらいに 老 ( ふ )けた弱々しいお声で、 「かず子がいるから、かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ。 お昼すこし前に、下の村の先生がまた見えられた。 「とどけないって、おっしゃいました」 と私が答えると、垣根のほうにまだ近所のお方がいらして、その私の返事を聞きとった様子で、そうか、よかった、よかった、と言いながら、ぞろぞろ引上げて行かれた。 国学,漢学,仏教,詩文をまなぶ。 お父上の御臨終の直前に、お母さまが、お父上の 枕元 ( まくらもと )に細い黒い 紐 ( ひも )が落ちているのを見て、何気なく拾おうとなさったら、それが蛇だった。
次の戦局がそろそろ絶望になって来た頃、軍服みたいなものを着た男が、西片町のお家へやって来て、私に徴用の紙と、それから労働の日割を書いた紙を渡した。 さまざまな生活、年齢の方が《 ゆう風舎 》という場所で 懐かしくゆったりとした気分で、 昔、自分が子どもだった頃の気持ちや夢、理想などを想い出して 前向きな気持ちになれる、柔らかな心になれる… 「ゆう風舎」は「優風舎」で、『優しい風の吹くところ』という意味です。 人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈だ。 2010ねん4がつ~2011ねん3がつはつごうによりぶれいくします。 はだしで、お寝巻のままの、取乱した自分の姿が急にはずかしくなり、つくづく、落ちぶれたと思った。
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私は翌日から、畑仕事に精を出した。 藤の花はもう終って、やわらかな午後の日ざしが、その葉をとおして私たちの 膝 ( ひざ )の上に落ち、私たちの膝をみどりいろに染めた。 攻撃力ダウンは4回で下限に達するので、それ以降は余裕があれば少し威力が高い「みずのはどう」がおすすめ。 しばらくみおくり。 お別荘が火事だ」 という声が下のほうから聞えて、たちまち四五人の村の人たちが、 垣根 ( かきね )をこわして、飛び込んでいらした。 その四、五日前の午後に、近所の子供たちが、お庭の 垣 ( かき )の 竹藪 ( たけやぶ )から、蛇の卵を十ばかり見つけて来たのである。
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