園内は、150の噴水と4つの滝があり、園内のあちこちで美しい水しぶきがあがります。 必ず見ておきたいポイントをまとめてみました。 しかし、第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍がサンクトペテルブルグに侵攻すると、琥珀の間は持ち去られてしまいます。 - , サンクトペテルブルク、解体• その比類ない美しさが、訪れる人々を魅了しています。 ただ、白の食堂などとは異なり、この部屋だけは宮殿内でも浮いている感じがしたのは否めない。 降りる際も不安であれば、運転手の人に「プーシキン?」と聞きましょう。 ここで、予約した紙を見せるとチケットに引き換えてくれます。
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もともとは1750年代に設置された大階段ですが、1860~1863年ころに ロココ調へと改築されたようです。 地球の歩き方では、エカテリーナ宮殿がある場所がツァールスコエ・セローという名前で紹介されていますが、これは避暑地としての呼び方らしく、行政的にはサンクトペテルブルク市プーシキン区に所属しているようです。 その後、フランス、オーストリアと 『ヴェルサイユ条約』を結びます。 改宗したカールは以降、『ピョートル』を名乗ります。 おっと金の葉っぱ隊の方じゃないですか。 金色です。 それから、どういうわけか、意外と狭く、結局は秀吉の金の茶室と同じようなものかもと妙に冷静になったりした。
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ところで、宮殿は日本とロシアの交渉史の舞台としても有名である。 よくブログで、サンクトペテルブルクから電車で行ってみました~というのがあるけれど、1日しかない行程ではおすすめできません。 エカテリーナ2世はこの部屋をこよなく愛し、自らが許可した者以外は入れなかったといいます。 見聞録として、桂川甫周(かつらがわほしゅう)が、大黒屋光太夫から聞き取りまとめた『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』などがあります。 次はペテルゴフというところに行ってピョートル大帝の夏の宮殿(噴水で有名な庭園)を見ます。 バスを下車して宮殿に向かって歩いている途中で見ることができます。
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こちらはエカテリーナ女王が着ていたドレスを再現したものです。 ロシア観光における人気スポットなので、ぜひ足を運んでください。 入場門の右にこのような青緑色の小屋があります。 マルシルートカとは マルシルートカというのを一言で説明すると、路線バスもどきといったところでしょうか。 床を汚さないよう、靴の上にスリッパを履いて宮殿内部へ。 行方不明とされている琥珀の間のパネルはドイツ軍に奪われた後「ケーニヒスベルク城」に保管され、その後、イギリス空軍の空爆にあい琥珀は全て消滅したといわれています。
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今回は、金、白、青のカラフルな色彩が素敵なテーマパークのようなエカテリーナ宮殿の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。 エカテリーナ宮殿とは まず今回の移動の目的地について簡単な説明を。 見どころの一つである 琥珀の間ができたのも、エカテリーナ2世の時代。 ガイドさんは詳しく各部屋を説明してくださいましたが、惜しいことに一切覚えていません。 寄木細工の床 天井や壁などにばかり目が行きがちですが、足元にも注目してみましょう。 朝日を浴びる天使の像。 マルシルートカの料金と時間 ここで紹介しているルートで移動したのは、2017年の7月のことです。
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晩年 [ ]. 南側の入り口から建物内に入ります。 入口の正面階段 現地にいる間は宮殿に対してそんなに興味はなかったので、現地ガイドさんの説明になかなか反応できなかったのだが、後日NHKテレビジョンで宮殿のことが放送されて、ああ、そうだったのか、と思うようなことを知ったので書き留めておきたい。 真っ白な大階段 エントランスと上階を繋ぐ階段で、 真っ白な大理石を使って造られているのが特徴。 「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」として世界遺産に登録されています。 美しい天井画も注目ポイント。
次のブルーを基調としたロココな部屋。 現在は資料展示場になっています。 バロック様式の宮殿は、鮮やかな青い壁に白い柱のコントラストで、美しさが際立ちます。 部屋は素晴らしいのですが、ほとんどが復元されたものですので歴史のあるものではないのがちょっと残念です。 宮殿に入り最初の大階段を上ります。 ポルタヴァやレスナヤはウクライナ東部にある場所です。 この宮殿は1990年に「サンクト・ペテルブルグの歴史地区と関連建造物群」として、エルミタージュ美術館、アレクサンドル・ネフスキー修道院等と共に世界遺産に登録されています。
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