さうしてそこから、或得体の知れない朗らかな心もちが湧き上つて来るのを意識した。 私は外套のポケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う元気さえ 起 おこらなかつた。 そこへ十三、四のいかにも田舎者らしい 娘が、風呂敷を抱えながら三等の赤い切符を持って、主人公の前へ座りました。 その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。 トンネルをつたってすすを溶かしたような、どす黒い空気が 濛々 もうもうと車内にみなぎりだした。 生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため 、東京市小泉町(現・東京都)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。
次のまとめ 以上、芥川龍之介「蜜柑」のお話紹介でした! 「蜜柑」を知らなかった人には知るきっかけに、知ってたけどそこまで深く考えたことなかったな~という方には、新たな気づきを得る一助になれていれば幸いです! 「蜜柑」は本当に短いお話で、10分もあればサクッと読めてしまうと思いますので、夜寝る前や、それこそ電車での移動中などに、ぜひぜひ読んでみてください!. 汽車は石炭を燃料として使い、蒸気力で動くという仕組みで、モクモクと黒煙を上げながら進んでいきます。 年齢的に娘はおそらく 奉公に行くのであり、彼女にとっては大いなる旅立ちの日でもあったでしょう。 も芥川の推薦で嘱託教官となっており、のちに内田は『竹杖記』((昭和9年))で芥川が講師の人選や交渉などに一定の役割を担っていたことを記している。 思いっきり秀しげ子のエピソードを元につくっている。 その汚らしい風貌にも、三等の切符を持ちながら二等の車両に乗り込んでくる無知さにも、すべてに嫌気がさした私は、憂鬱な気分に拍車がかかる。
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私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭を靠せながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。 怒りが最高潮まで達していた男であったが、目に焼き付いて離れないその蜜柑の輝きは、男の胸に深く刻まれ、退屈で灰色な彼の日常に、一筋の日の光が差したのである。 1918年• そうして刹那に一切を了解した。 「 蜜柑は小説ではなく、エッセイと言ったほうがいい」という意見もあるように、「蜜柑」は芥川自身の体験をもとに書かれた作品です。 犬を主人公とする児童文学『白』を改造社出版の雑誌『女性改造』に寄稿したのもこの時期である。 他にも「蜘蛛の糸」や「芋粥」など有名な作品が一緒に読めますよ!. 列車に居合わせた小娘への印象が、目の前にこぼれた鮮やかな蜜柑に投影され、一気に変化します。 娘は、髪を銀杏返しに結って、両頬は気持ちの悪いほど赤く火照り、いかにも田舎者らしかった。
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少女が汽車に乗り慣れていないことがわかります。 現代で言うと、 うっかり目の前に停まったグリーン車に乗っちゃった、ってかんじでしょうか。 当時、芥川龍之介は横須賀に勤務しており、頻繁に横須賀線を利用していました。 その瞬間、目の前にいた娘は持っていた風呂敷の 蜜柑を窓から放り投げ、蜜柑は五つ六つ宙へ舞い、子どもたちは 小鳥のような歓声をあげました。 短い文章でありながら目の前に映像が広がるような筆致が、もう見事としか言いようがない。 彼らはそろって小さかった。 もちろん、小説なので映像として見ることはできないのですが、芥川の見事な表現によってその情景が 目の前で起こっているように感じます。
次の哲学的な「作品の深さ」を求めている方にとっては、その点で少々物足りないかもしれませんね。 そのポイントになったのが、少女の手から投げられた蜜柑だった。 その小娘は列車の窓を開け始め、車内には煙が入ってきたため、「私」の不快感は頂点に達します。 Sponsored Links まとめ さあ、もう書けますよね……。 1922年8月• センチメンタルとお笑いください。 Yukimomoは、amazon. その辺の詳細はこちらの記事に。 横浜臨海公園. また、それに呼応して主人公の 気持ちも暗く沈んでおり、どこからか聞こえてくる悲しい子犬の鳴き声に自分を重ねさえします。
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中古が¥1って…まじか 明治・大正期の文豪、芥川龍之介。 実際にはもっと古語が並び、情緒があるシーンなのだが、これを読んだ時私は驚愕した。 私はその不潔な服装と下品な顔立ちを好みませんでした。 。 胡適との問題などについて語り合いなどを行い、7月帰国。 服装も不潔でいかにも田舎者といったいでたちである。
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