西田は懐疑の果てに見いだされるものとして、「純粋経験」という非人称的な表現をとり、一方、デカルトは考える主語的な実体として「私」の存在を確実なものとした。 そしてその死とともにその世界は消失する。 それを念頭に、出産というもの、私たちの文化以前に存在の前提になっている出産、命について考えたときに……やはり、こうして現に存在してしまっている私たちには決して見えない、言えない、善悪をめぐる決定的な何かがあるんじゃないかと思ってしまう。 のち講談社学術文庫、2010年7月• 自分を対象にする場合でも、すでに存在している自分に何らかの変化を起こす、それが善いか悪いか、という問題です。 ニーチェが問題にした善悪については、私たちが作っている文化の側面だけで話ができるように思うんです。 この作品を巡って行われた、初の総特集本「文藝別冊 川上未映子」掲載の永井均さんとの対談を公開します。
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永井 この世界の存在それ自体はよくも悪くもありえないのと同じように、ということですが、もっと深い意味も考えられますね。 私は7月に、長編小説『』を刊行しました。 永井 まずはこの表を見てください。 そして、「ただそれが全てであり、事実そのようであったというだけのことである」。 反出生主義の主役は誰か 川上 十年前に永井先生と私の小説『』について、「ニーチェとニーチェを超えた問い」という対談をしました。 【原文】国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。
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これが功利主義という考え方の基本前提です。 これは考えると恐るべきことです。 彼女自身はパートナーも定職もなく、年齢は38歳、またアセクシャルかどうかは自覚していませんが性交渉も不通です。 永井 デザインできない点で神以上ともいえますね。 ・・・・・・永井均『事典哲学の木』 講談社、 訳書 [ ]• 今も在籍してるのかな• このような考え方を、ネガティブ・ユーティリタリアニズム(消極的功利主義)と言うのですが、この考え方をベネターはとっています。 同大学院文学研究科博士課程単位取得。 とはいえ、これは難しい話です。
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「存在と意味 哲学探求2」(Web春秋) 脚注 [ ] 注釈 [ ]. 『〈子ども〉のための哲学』 、、• さ迷える魂は、その内部で意味のない苦悩に意味を見出すことが可能となり、魂の奴隷となった。 *購入者には10営業日以内に商品を発送いたします。 普通の殺人は、恨みとか何かを理由にして特定の人を狙い撃ちにするわけです。 自分にとって子どもが欲しいということが本当は根拠だけど、そこは曖昧にして見て見ぬ振りをするでしょう? 夏子は善百合子の主張を聞いているのに、実際には撥ね退けている。 千葉大学教授などを経て、日本大学文理学部哲学科教授 内田かずひろ : 1964年福岡県生まれ。
次の世界が一枚の絵に描けることを前提にした言語的世界把握が作動したのである。 「悪の無意味さ」を超えるもの 永井 それに、たとえそうでないほうの、つまりもっと精神的な意味での「心の痛み」のようなもののほうを主として考えたとしても、「産む/産まない」の問題に関して、だから産んでよいのだ、とするのはちょっと変な話ではありますね。 2007年『わたくし率イン歯ー、または 世界』『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で早稲田 大学坪内逍遙大賞奨励賞、08年『乳と卵』で芥川賞、09年詩集 『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学 大臣新人賞、紫式部文学賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『 愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『マリーの愛の証明』 でGRANTA Best of Young Japanese Novelists、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞を受賞。 そして、その見えない何かを、まだ誰も抉り出していないような気がしています。 どういう状況にあれば幸福でどうなると不幸かは客観的に決まっているかのように功利主義者は考えますが、本当はびしっと客観的に決まっているわけではないですね。 川上 そうなんです。
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確かにある哲学者なり思想家は世の中を批判しているかもしれない。 その証明が正しいかどうかは別にして、存在することがプラスの価値であることそれ自体は自明の前提とされているのですね。 前者では「闇」とは悪のことであったが、後者での「闇」は無=死である。 創り出された人間は自分の人生もその評価も新たに創り出すことができるし、創り出さざるをえないのですから。 勝手に創り出しておいて、自分の人生なのだからすべてを決めるのはあなた自身です、と言うのは、美しい話なのか酷い話なのかわからないところがあります。 『世界の独在論的存在構造 哲学探究2』 、2018年8月 共著 [ ]• 哲学者、永井均氏 で、俺の好きな哲学者に永井均さんがいる。
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