(後編「 出てくる言葉は『お母さん』と『わかんない』 左脳の4分の1が壊死した私 」を読む) 最新話は発売中の『 週刊文春WOMAN 2020夏号 』でご覧ください。 「出産の3倍痛かったのに、なんで救急車じゃないんだろう? 痛くなかったのか」と思うでしょう? 実は「わざ」を使ったのです。 後頭部です。 たまにそういう人がいるみたいですけど、結局、仕事もお酒もやり過ぎたということでしょう。 29 [出版情報] 2018. 今でも、文字を読むとすぐ疲れてしまって、雑誌2ページぐらいでへとへとですし、語彙も乏しい。
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「人生最大の痛み」を感じた私は、旦那に、懇意にしている気功の先生に「電話して!」とお願いしました。 26 [イベント情報] 2012. 右も左も、湯呑みも急須も、トイレも鍵も、電車もバスも使い方が思い出せず、全てが初めての経験。 私は手術用のガウンを着せられ、お医者さま数人と看護婦さん数人がベッドを取り囲んでいました。 また、DV報道記事では2016年頃に警察沙汰になったとされていますが2014年後ろにも警察がいるというツイートが…。 09 [イベント情報] 2014. 09 [イベント情報] 2012. 06 [イベント情報] 2013. 痛風を一発で治してくださった先生もいました。
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「人生最大の痛み」を感じた私は、旦那に、懇意にしている気功の先生に「電話して!」とお願いしました。 仮定の医学• 左脳の4分の1は壊死してしまいました なんでも「俺は手術なんかしない。 そして月曜日から金曜日まではリハビリをする。 そのあとまた油をひいて、溶き卵を入れて炒めるのですが、長年作っていた得意料理だったからかもしれません。 ここで凹んだらあの人の思うつぼだしな。
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産後も病院の薬が合わず、「赤ちゃんがいて通えないので、薬だけ送っていただけませんか?」とお願いすると、「写真を送って」と言われ、上半身と全身を送りました。 著書に『おじさん改造講座—OL500人委員会』(文春文庫)など。 1995年10月発売• 血圧を薬で下げるのはイヤだったので、何か違う方法はないだろうか?と代替医療を探しました。 しかしこの時ばかりは、痛みの芯がどうしてもとれず、大学病院にいきました。 03 [コーポレートリリース] 2019. 19 [出版情報] 2017. 20 [出版情報] 2018. 最新話は発売中の『週刊文春WOMAN 2020夏号』でご覧ください。 「先生、私はもう疲れました。
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それは直してあげるよ。 『おじさん改造講座』 表紙画は、(画)、(画)• 旦那にはまったく理解できなかったはずですが、それでも何だかおかしくて、ふたりでゲラゲラ笑っていました--。 結局、手術は成功したものの脳梗塞が起こり、私の左脳の4分の1は壊死してしまいました。 本1冊読むのには1年かかります。 17 [出版情報] 2018. やっぱりご飯は自分で作りたかったです。 OL500人委員会 1993年5月発売• 監督・キャラクターデザイン -• 旦那がお見舞いにきてくれるたびに、うれしくて、私はたくさんしゃべりましたが、「お母さんがわかんないからお母さんで、わかんないからお母さんでお母さんなの」。
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01 [コーポレートリリース] 2012. 後頭部です。 そんな私が、手術から10年たった今、何ヶ月もかけて初めて書いたのが、この原稿です。 私は46歳になっていました。 私の左脳は、4分の3は残っているはずなのに、何もわからない。 自宅でサッカーを見ていたときのことです。
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「春の坂道」(1971年)で宗冬を演じていた若造が、 NHKと共に年齢を重ね、渋い役を演じられるようになった(笑。 著書に『おじさん改造講座—OL500人委員会』(文春文庫)など。 「さっき脳外科の先生から説明を受けた。 うずくまったまま、目も開かず…… でも病院には、救急車ではなく、歩いて行きました。 20 [イベント情報] 2013. でも、ふたりめが生まれると、38歳になっていた私は、もう無理ができなくなりました。 会社は不思議なところでした。
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出産の痛みが「鼻からスイカを出す」くらいだとしたら、この時の痛みは「雷で死亡」とか「ショック死」くらい。 ついに頭に凄まじい痛みが ついに頭に凄まじい痛みが走ったのは、出産から8年を経た2009年11月のこと。 2ヶ月後、私は大きなリハビリテーション病院に移ります。 でも左脳の4分の1が壊れているので、言語障害が出た。 ・学歴、身長、年収は妥協しても、 「ハゲはイヤ」、 この一点だけはどうしてもゆずれないらしい。 いまでもそうですけどね。 4年制の大学を出た私は、男女雇用機会均等法が始まって間もない1985年に就職しました。
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