また、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」は、湯川れい子(音楽評論家・作詩家)が日本語に訳した詩で披露したが、湯川氏が「20周年を記念するコンサートで歌うということならと、私が原曲に忠実に訳詩して、それをイギリスに送り、クイーン側から正式に日本語で歌う許可が下りて今日の発表となった」そうで、その名曲を、オペラの部分も含めて魂を込めて歌い上げた氷川は「フレディ・マーキュリー(クイーンのボーカリスト)の思いを感じながら日本語で伝えたいなと思って、湯川先生に訳詩をお願いしました。 「氷川君はいきなり変わったわけじゃないと思います」 と湯川さん。 奇妙なアクセントと間延びした母音が、言葉から統一感を奪ってしまう。 どれをとっても演歌で培ったものは影を潜め、ポップス歌手として大曲に挑む姿があった。 そこには「ボヘミアン・ラプソディ」と共通する「凄み」があるように思った。
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日本人の耳からすれば、拙く聞こえる部分はあるにせよ、アクセント、強弱、息継ぎが自然に再現されている。 やはりそれぞれの言語の持つ強弱や抑揚に沿って、メロディの心地よさは決まってくるように思います。 彼ほどのベテランであり、数々の賞を総ナメにして来た人間ですら、この楽曲の大きさの前にはひれ伏し、慄き、足が竦むのかもしれない。 イギリスのロックバンド『Queen』の『ボヘミアン・ラプソディ』カバーを披露したが、視聴者は日本語訳の歌詞にズッコケてしまったようだ。 「 やっぱり、フレディ・マーキュリーの孤独ですよね。 全然コピーじゃない。 氷川きよしが演歌を20年、歌い続けてなお捨てられなかったポップスやロックへの音楽性が十分に発揮されているに違いない。
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そうやって得た輝きは、誰にもまねできず、追従できない。 日本作詩家協会の元会長、現顧問などの重職に就き、世界の名だたるスーパースターたちと親交を持つ。 『Papillon』もデモテープの時にはついていなかったオープニングを加えて頂きました」 「命の大切さ」と「自分らしくあること」 どんな曲を歌うのか。 オリジナルをそのままなぞっただけでは、単なる猿真似でしかない。 「演歌」も「ポップス」も超えた歌い手への一歩なのだと思う。 42歳になっても彼の歌声は非常に「鳴り」がいい。
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例えば語りの部分においては、非常に言葉が練られており流暢で、そこにはNHK で歌った時よりも格段の進化が見られ、彼がこの楽曲を自分のものとして消化していることを感じさせた。 彼の高音がフラットするのを聞いた記憶が私にはないほど、いつも彼の高音はまるで発声の見本のように音程が正確だ。 正しくは、たとえステージ上で歌うだけでも音楽出版社へ申請しなければならない。 今まであまり見かけなかった彼の新しいテクニックがたくさん顔を出す。 彼ほどの歌手でもこの曲を披露するというのは緊張を伴うものなのだと思った。
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手放すものが大きければ大きいほど、手に入れるものも大きくなる。 この曲をカバーする人が少ないのは、この曲が余りにも衝撃的でフレディの歌声無くしては歌えないほどの強烈なイメージを私達に与えたからだ。 メロディーにはきちんと合っているものの、どこかクセの強い詞になってしまっている。 そして、 45歳と言う若さで亡くなったフレディの生き様を目の当たりにし 、 自分は自分らしく輝いていきたい!好きだと思う歌を、 好きなように、好きな衣装を着て歌いたい!! という思いがますます強くなったようです。 そして、本日公開した「ボヘミアン・ラプソディ」の映像が収録されたDVDが3月31日に発売する。 「セイ! ポップスアルバム発売まであと数日だが、そこには彼の様々な音楽性が納められているだろう。
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日本語で歌うことの難しさにあえて挑戦する。 アップテンポの中で言葉の処理とリズム感、チェストボイスからヘッドボイスまでの音域を行ったり来たりするメロディー。 氷川きよしは、音楽評論家の作詞家・湯川れい子の訳詞で朗々と歌い上げている。 しかし、それ以外の部分。 どの曲にもそんなメッセージが綴られている。
次のただ、そうやって"演歌"か"ポップス"かという音楽の「形」で分けてしまうことで大切なことに触れずに終わってしまう気もしている。 名だたる作家が参加した絢爛豪華なアルバムになるのではないか、と思っていた。 ipodに入ってる曲は長調ばかりの偏食家. 彼は「20年間歌ってきたから歌えたアルバム」と言った。 14年ぶり。 「Pretender」のメロディは、あの日本語ならではの粘り気に満ちた押韻がなければ魅力が半減してしまうのです。 」とコメント。
次のアルバム一枚をひとつのテーマで作ったと思える曲が並んでいる。 書き下ろし10曲。 また、 背中を押してくれた映画の主題曲『ボヘミアン・ ラプソディ』を自分も歌いたい!と音楽評論家で作詩家の湯川れい子さんに相談しました。 そう思った。 その音の羅列に命を吹き込むのが歌手であり、そこにそれぞれのオリジナル性が生まれてくると考える。
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