2 古英語とは? アングロ・サクソン人たちは自分たちの話す言葉を englisc (エングリシュ)と呼んでいました。 「す・・・すまなかった。 特にノルマン征服時代以降の年代記を、その書かれた地名から『ピーターバラ年代記』と呼びます。 そのような隙をついて再びデーン人がイングランドに来襲、エゼルレッドはノルマンディ公リシャールの妹エマと結婚することで同盟を結ぶことによって対抗。 そこへ彼の家臣たちが現れておかみさんに事情説明。 ほかには、現在のオランダと北ドイツに沿った沿岸地帯のフリースランドに住んでいた フリジア人なども含まれます。
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そのうち『司牧者の心得』の序文は原典にはなく、アルフレッド作であると言われ、デーン人によるイングランドの文化衰退を嘆く文章となっている。 ここで重要なことは、この単語は Gar-Dena と同じ音で始められているはずだ、ということです。 アルフレッドは聖職につこうとする矢先牧師アシャー(C・ブレークリー)の口添えもあって、抗戦の指揮を引き受けた。 今でも、町の構造自体や町の門などにおいて、当時の痕跡が残っています。 だが疲れていたため、つい微睡んでしまい、パンを焦がした。
次の人体各部への暴行による傷害罪に対しては詳しく罰金の細目が明示されている。 これは何故なのでしょう。 ヘプターキー(七王国)は次々と「デーン人」に蹂躙され、 何とか生き延びて抵抗を続けていたのは「ウェセックス王国」のみ。 (複数の「石」が、は) stan-as 主格 (複数の「石」を) stan-as 対格 (複数の「石」に) stan-um 与格 (複数の「石」の) stan-a 属格 古英語の全ての名詞がこのように変化活用をするというのであれば、話は簡単なのですが、世の中そうそうおいしい話が転がっているわけではありませんし、それはこの場合でも同じなのです。 日本語には上の例であげたように、数の問題はありませんが、インド・ヨーロッパ語族の言語は複数、つまり「1個より多いもの」という概念は大切で、これも変化形の意味の中に含まれます。
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アルフレッドはデーン人との間でイングランド北東部の統治権(デーンロー)を認める条約を結び、戦闘を終結させて、自らはイングランド南西部の支配権を保持した。 デーン人は追撃するのですが、アルフレッド大王は行方不明になっちゃいます。 彼らは、いまだキリスト教に改宗をしていないため、言葉を文字で記録する、という習慣を持たない人々でした。 アルフレッドの指揮のもと、ウェセックス軍はデーン人を撃退。 ここでわかることは、 古英語の名詞には男性名詞、中性名詞、女性名詞の区別があることです。 また、 gefrunon, fremedon の接尾辞 -onも主語が複数の時の過去時制を表すための語尾なのです。
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886年、アッド大王はデーン人が支配していた ロンドンを攻略して国境線を確立する条約を結びます。 今では、歴代の君主の中でも人気を誇り、「The Great」と呼ばれています。 この御恩は決して忘れません」 これが有名な「アルフレッド大王と焦げたパン」のエピソード。 エゼルレッドの跡を継いだのは息子のエドマンドで、彼はエドマンド二世として即位するのだが、イングランドの各諸侯はデーン人であるクヌートのことを歓迎していた。 特にウェセックス伯ゴドウィンの台頭は目覚ましく、カヌート亡き後自らの都合の良い人物を王位に就け、そして暗殺。
次の一方英語はラテン語やフランス語などからの借入語が非常に多いと言われています。 両者とも崩せずに和平を結びました。 その時期を英語史では「中英語の時代」と呼ぶのです。 そこで大切なのは g, c, sc の音のヴァリエーションです。 そこで、アルフレッドの時代以降を古英語後期と呼びます。 後の「デーンロウ」に至る最初の条約「ウェッドモア条約」が締結された。 若い新妻を連れ帰ったエゼルウルフ王とアルフレッド少年を待っていたのが、エゼルバルドの反乱であった。
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Lees原著、高橋博訳『アルフッド大王 イギリスを創った男』開文社出版、1985年。 ただ、全体としてはよくできた合戦絵巻のようで、単純ないくさ物として楽しめる。 無能な王歴史代表のような男エゼルレッドだ。 エゼルウルフ王は、時代を終わらせた覇王、 エグバートを父に持っていました。 クヌートの兄デンマーク王ハーラル二世が亡くなると、クヌートはデンマーク王の位も引き継いだ。 即位してからもデーン軍とは一進一退の攻防を繰り広げていました。
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