ウィリーさんは3~4年前の交通事故で一時期動けない状態にまでなっていましたが、空手を指導できるまでに回復していたそうです。 「熊殺し」の異名を取った米国出身の空手家、ウィリー・ウィリアムスさんが今月7日、 うっ血性心不全のため米国で死去していたことが10日、分かった。 猪木戦の後もたびたび来日し、総合格闘技のリングなどに参戦した。 巨漢の柔道家ジョージと向き合った時、大山茂師範はこう言い放つ。 ただの一発でも顔面にでも貰おうものなら、比喩ではなく顔はなくなってしまうだろう。
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実際の映像が、こちらです。 ウィリーはそんなツワモノぞろいの極真空手にあって、さらに規格外。 判定は三者三様で引き分けに終わるが、猪木に蹴りまくられたアリは左足を負傷して入院。 wwptalk. 大山茂氏においても、おそらく同じことが言えたに違いない。 三瓶戦での茂師範の顔面蒼白な無言の怒りを忘れません。 67歳だった。 当時、一部の関係者を除いては双方共に裏側は知らされておらず、 双方ともに「絶対に負けられない戦い」と信じ、その緊迫感と殺気たるや異様ですし、対戦表明から実現、そして決着までのストーリー構成は見事なものでしたが、 ウィリーの打撃はいずれもスローモーだし、パンチ、肘打ち、膝蹴りなどもちっともリアルに見えません。
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ボクシング [6月30日 17:41]• 9日、複数の海外メディアが報じた。 空手バカ一代はその演出の手法として、 この話は実話であると言い切り。 という事で、前置きが長くなりましたが、 今日は大山倍達の牛殺しと、 ウイリーウイリアムスの熊殺し伝説について書きたいと思います。 円心空手の創始者である二宮氏は、日本でも組織は運営されているが、あちらでの生活の方が充実しているのではないか (今は、お家騒動のまっただ中かもしれないが)。 真偽は不明ながら、「当時の外国人選手にはローキックは教えない」との噂まで出ています。
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1989年(平成 1年) 5月25日 大阪城ホール 異種格闘技戦 アントニオ猪木(2R1分7秒 裏十字固め)ショータ・チョチョシビリ 異種格闘技戦初の黒星からわずか1カ月で猪木は雪辱戦に挑む。 暴漢の顔に鍵の束(たば)を投げつけ、顔をカバーした相手のがら空きのボディーに、 正拳突きをぶち込み、悶絶させた。 猪木はグローブを着けてボクシングスタイルで渡り合うが、分が悪く、4ラウンド目から素手で闘うもペースをつかめず、見せ場のないまま、最後も不可解なフォール勝ちということで暴動騒ぎになりかけた。 アリ戦よりもアグレッシブだった猪木 わずか4ラウンドで終わってしまったこの一戦であるが、猪木の動きを全ラウンド通して俯瞰すると、アリ戦に比べてはるかにアグレッシブだったことがわかる。 ウイリーは道着を履いて、上半身は裸。 ウィリアムスさんは米ノースカロライナ州出身。 で、冒頭の映画の撮影という流れという事です。
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プロレス [6月29日 19:28]• 場外で猪木が腕ひしぎ逆十字で極めたところで、場外リングアウトの裁定が下されます。 ボクシング [6月30日 8:13]• 猪木は再びタックルを狙うが、ウイリーは切らせず、第3R終了。 あの頃は猪木さんに対しても、極真に対してもファンが妄信的な信者と思える人たちばかりだったので、本当に会場が殺気に満ち溢れていました。 私たちの時代の極真は、まさに最強のブランドで輝いており、大山倍達は神でした。 そして、いよいよ対決、 道着を掴みにきたジョージの肩に正拳を合わせる、 ジョージが、強力な正拳の威力に怯んだ、 ジョージは再び右手で、道着を掴んできた、そこをすかさず、ジョージの分厚い胸板に、 パンチを入れる大山茂師範。 ボクシング [6月26日 15:25]• 「ただ、今あらためて試合の映像を見ると、ウィリーの繰り出す上段蹴りはモーションが大きくて、とても猪木を捉えられそうにない。
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その後、 ウィリーは1979(昭和54)年11月、極真会館の「第2回全世界選手権」に出場。 しかし、ダウンは拒否、倒れませんでした。 猪木とやれてよかった、あの一戦で有名になったからね、極真の名誉を傷つけることはなく、極真の名を世界に広めたのだから、役に立ったと思いますよ」と語った。 67歳だった。 ニューヨークで自身の道場を開いて、日本とのしがらみが失くなったように見えたが、それでも何かと黒いウワサは絶えなかった。
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