昭和 天皇 戦争 責任。 「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々(辻田 真佐憲)

志位和夫の勇気ある渾身のツイートに拍手

昭和 天皇 戦争 責任

そんなわけで天ちゃんは積極的に外国に言い訳をしていた。 細かく言うと、「責任を認めた」可能性はある(そもそも、責任は確実に存在するのだから)。 また「国としての損失という面から考えると、当時の日本の主権者は天皇であり、その最大の被害者は天皇自身であった」とする意見もある [ ]。 ウェブは当時、「判決書草稿」の提出を差し控えながら、なぜ敢えて天皇の部分だけは「裁判長の個別意見」として踏み切ったのであろうか。 この天皇の悪あがきのために沖縄は「捨て石」にされ、日本中が空襲で焼け野原にされ、膨大な数の兵士や一般市民が命を落とし、ついには広島・長崎への原爆投下にまで至ったのである。

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昭和天皇の戦争責任論

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私も、20年前とは大きく異なり、あの戦争と昭和天皇の概念を変えた。 そこには、国家間の力関係を通して階級的性格が刻印されている。 天皇が閣議決定を覆したり誘導すること、つまり 政治権力を行使することは事実上禁じられており通常では昭和天皇が御前会議で発言することは全くありませんでした。 遺族が2016年に家の中にあるのを見つけ、共同通信が17年に入手、現代史に詳しい歴史作家の半藤一利氏と、ノンフイクション作家の保阪正康氏の協力を得て読み込んできた。 戦場における戦争犯罪について、政府・軍部高官の責任を問うためには、その基準として、高官がその事実を「知っていたかあるいは知っていたはずだ」ということに求めざるを得ない。

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昭和天皇は「全責任は私にある」と言ったか

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日本陸軍もこれに負けじと同月に香港を占領し、1942年1月にマニラ、2月にシンガポール、3月にラングーンおよび蘭印(オランダ領東インド諸島)をつぎつぎに占領、連戦連勝の凱歌をあげた。 また上記に列挙した戦争責任について、「日本には戦争に対する責任を負うべき事実が存在しないから、天皇の戦争責任自体を問うことが設問として成り立たない」とする意見がある。 「いかに否認しようとも、すべての宣戦布告が彼の名によってなされたという事実までも否認することはできない。 外には漏れないが、上には真っ直ぐ上がる。 東京と大阪における行動提起を紹介します。

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戦争責任は他人から「言われるから」辛いという天皇裕仁の無責任

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そして12月には過去最大規模の大礼特別観兵式・観艦式が行われ、陸海軍を閲兵するヒロヒトの様子が新聞やラジオで大々的に報道された。 8月15日に三木首相が靖国神社を参拝し、それが天皇の靖国参拝と戦争責任問題にまで発展したのである。 私は日本国民の指導者であり、国民の行動に責任がある」 松尾前掲書より引用 私は東条にだまされた。 の『中央公論 昭和23年7月号』に大山郁夫が寄稿した『戦争責任と天皇の退位』では、「それ(=戦争についての天皇の責任)は単純に個人道徳上のそれにあるにとどまるものではなく、さらに・・・政治道徳上の責任に渡るものだと思う」と書いている。 本書『昭和天皇 最後の侍従日記』 文春新書 は、その内容を改めて新書として公開したもの。

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日本帝国主義と昭和天皇の戦争責任を改めて問う ―― 東京裁判(極東国際軍事裁判)の再読

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一方、ソ連は極東委員会においてそれまでは天皇訴追を主張しなかったが1949年、731部隊の裁判で戦争犯罪の証拠を見つけ、天皇をA級裁判ではなくBC級裁判で訴追することを1950年頃から主張し始めた。 それは「天皇の政治利用」どころか、政治の務めというものだ。 「平和主義者」でも何でもない。 イギリスへの言い訳 イギリスに対しても「東条が悪い」アピールがなされた。 しかし、何れにしても、大臣の進言に従って国際法上の犯罪を犯したことに対しては、立憲君主でも赦されるべきことではない」。 (中略)しかし、この私の不安は根拠のないものだった。

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戦争責任は他人から「言われるから」辛いという天皇裕仁の無責任

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「国際法によって禁止されている犯罪は、人間によって犯されるのであって、なんらの空想的な実態ではない。 7日に昭和の幕が閉じた。 もとより、著者はこの全部に目を通したとは述べてはいないが、恐らくこれまでのいずれの研究書にもまして第一次資料を読み込んだことを自負している。 3度目が講和条約の発効した1952 昭和27 年4月28日だった。 否定論に対する肯定論の反論 [ ] これに対して、昭和天皇の戦争責任を追及する立場の人物は、戦後の国際的な体制によって、を中心とする・陣営のが日本のを阻止するため、侵略戦争に荷担した日本指導層を戦争責任を追及せずに政財界に復帰させたによって天皇の戦争責任の追及が今でも阻まれていると主張している。

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昭和天皇に戦争責任があったと思いますか。

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また、天皇は日米開戦を論議した御前会議の最中に、開戦に反対したとする意見もある。 日本支配者階級のアジア太平洋戦争に対する無反省と賛美、骨がらみのアジア民族対する蔑視と支配の精神、統治イデオロギーとしての天皇主義の根深さ、教育とマスコミによる同様の思想の人民への刷り込み、等々が改めて日の目に晒されたといってよい。 この事件の責任者として、山下奉文が、東京裁判の前におこなわれたマニラのアメリカの戦犯裁判にかけられて死刑となった。 それは、およそ一国の元首であった人物、軍の最高責任者であった人物としては、最低最悪の無責任な態度である。 「思わず笑いがこみあげて どす黒い笑いは吐血のように 噴き上げてはとまり また噴き上げる」(「四海波静」)と。

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志位和夫の勇気ある渾身のツイートに拍手

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社説などに論調の違いは見られるものの、読む人によっては気づかない程度だった。 因みの彼は、憲法改正を目指した鳩山内閣が設置した憲法調査会の会長に就任し、歴代内閣の下でそれを務めた)は、「国民性もしくは民族性の反映」とした。 天皇の最後の参拝の年であった75年と78年の経緯を見ることによって私たちは、その関係を見ることができる。 東条はどうしたか ところで「敗けた」東条はどうしたか。 相良竜介編集『ドキュメント昭和史6占領時代』平凡社、p17• 『長崎市長への七三〇〇通の手紙』は、からまで市長宅に届き、そこから編集部に送られたはがき、封書、電報、電子郵便の合計7323通が収録されている。 さらに本書の特徴は、これまでは必ずしも十分には明らかにされてこなかった裁判過程を綿密に検討し、法律学的な側面からの検討を加えていることである。

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